サンタ通信No196(11)表 H27.11.18発行

   感染性胃腸炎に注意

 先日,和田小学校の就学時健診に行ってきました。来年の新1年生の子ども達に,集団生活をするのに支障となるような病気があるかどうかを診る健診です。元気にあいさつができる子供もいれば,恥ずかしそうにしている子供もいて,私にとってはいつも楽しい時間です。毎年私は,子ども達に名前を尋ねて,その返答の声の調子でお子さんの元気度をみていたのですが,今年は係の先生が全員の子供達の名前を大声で呼んだので,私は先生の元気度に感心しながらの診察になりました。

 さて,最近1週間(11月9日~11月15日)の感染症情報です。1週間で最も多かったのは,溶連菌感染症で36人でした。次いで,感染性胃腸炎13人,伝染性紅斑2人,おたふくかぜ1人,咽頭結膜熱1人,水痘1人,RSウイルス感染症1人でした。溶連菌感染症が依然として多いです。典型的な症状である発熱や咽頭痛,苺舌がそろえば,検査しなくても十分診断できます。しかし,のどがあまり赤くないのに,兄弟が溶連菌感染症に罹患しているという理由で,検査をしてみると,案外陽性に出ることが多いです。早く診断して,治療が早くできると,他の人に感染させる機会が少なくなって,流行を抑えるのには役立ちます。患者さんにとっては,早期診断ができなくても,菌がのどに付いたままだと,いずれは発熱し,のどの痛みが強くなって,のどの所見も真っ赤になってきますので,その時点で溶連菌感染症と診断はできます。それから治療を始めたとしても,早期治療した時と変わらずに,抗生剤はよく効きます。ただ,溶連菌と判らずに日常生活をしていると,家族やクラスメートに溶連菌をまき散らしてしまう危険性があります。家族に患者が発生した時は,他の家族の体調を詳しく観察してあげましょう。

 感染性胃腸炎が増えてきました。ノロウイルスやロタウイルスによる胃腸炎で,突然に嘔吐がみられ,その後下痢が出現し,次第に水様下痢になってきます。ロタウイルスの時は,便の色がうすい黄色になったり,灰色がかった黄色の便になるのが特徴です。これらのウイルスに対して特効薬はなく,吐き気止めを使用しながら,経口的に水分補給をしていく対症療法を行います。吐き気止めを使っても,嘔吐が治まらない時には,点滴が必要になります。以前は毎日10人近く点滴をしていましたが,経口補水液(OS-1)が発売されて,点滴の代わりにごく少量ずつ経口的に飲ませていく治療法ができて,点滴をする回数がかなり減少しました。また,ロタウイルスに対するワクチンを受ける方も増えてきて,患者数はもっと少なくなってくるでしょう。嘔吐下痢が流行する冬の季節には,インフルエンザも流行するので,外来は患者さんであふれてしまっている中に,数時間も点滴につながれて待合室にいなければならないという患者さんの負担は大変なものでした。脱水している血管は細くなって,点滴は入りにくいし,冬は手足が冷たくなって血管が出にくいし,点滴するのに一人30分くらいかかる時もありましたので,今は点滴の件数が以前の1割程度まで減ったおかげで,スムーズな外来診療ができるようになりました。OS-1やワクチンの存在は,本当に小児科医にとってありがたいことです。

 インフルエンザは11月に入って鹿児島市で週に1~2人程度報告されるようになりました。例年12月に流行が始まってきますので,現時点では周囲にインフルエンザの患者がいれば検査が必要になります。12月に入れば,インフルエンザの可能性が高くなってきますので,発熱時には積極的にインフルエンザの検査をします。インフルエンザのワクチンは,すでに2回接種を済まされた方も多いです。ワクチンの予約枠がすぐに埋まってしまい,なかなか予約が取れないようで,サンタをかかりつけにされている患者さんには申し訳なく思っています。


11月22日(日)と1月24日(日)は当番医です。救急患者の方が優先となります。

年末年始は12月29日~1月3日が休診となります。定期薬を服用されている方は早めに受診しましょう。

1月10日(日)は学会のため,休診となります。

サンタ通信No196(11)裏 H27.11.18発行

   アフリカの自然に圧倒されて

 10月に10日余りかけて南アフリカを訪れました。鹿児島から東京に飛び,香港を経由して,南アフリカのヨハネスブルクに到達。そこからさらに,ジンバブエのビクトリアフォールズまで,31時間かかって最初の訪問地に到着しました。空港で食事をしたり,飛行機の中で食事が出たりするので,これは朝食?夕食?とだんだん訳が分からなくなりました。ジンバブエのビクトリアフォールズという町は世界の3大瀑布の一つ,ビクトリア滝の玄関口です。ちなみにあと2つの滝は,ナイアガラとイグアスの滝です。このビクトリア滝はジンバブエとザンビアの両国にまたがるザンベジ川の途中にあり,雨期と乾季では水量が10倍以上も違ってきます。10月は水量が少ない時期で,滝全体を見渡すことができ,滝の淵にある自然にできたプールで泳ぐ人がいるくらいです。雨期になると,あまりの水量のために滝は水煙で見ることができず,滝の正面にある遊歩道はシャワーの中を歩く感じになります。宿泊ホテルは,サファリロッジになっていて,窓から見える水場には,毎朝のようにゾウやカバ,インパラ,バッファローなどが水飲みに来ます。そこを歩きながら,動物を観察するツアーもあります。危険を伴うため,お客5人に対してレンジャーが1人付いてくれます。レンジャーは実弾装着のライフルを携帯します。歩く道はゾウも歩くようで,あちこちにゾウの糞が転がっており,最初は踏まないように気をつけていましたが,あまりにもあちこちにあるため,最後はあまり気にならなくなりました。現在,ジンバブエでは米ドルが通貨として利用されています。以前はジンバブエドルという現地通貨を使っていたようですが,ひどいインフレのため100兆ドル札(0が14個並びます)まで印刷して使うほどでしたが,この100兆ドル札でさえも通貨価値は20円でした。2010年頃より価値が無くなったジンバブエドルのかわりに米ドルが使われるようになり,今年とうとう廃止されて,100兆ドル札がお土産用に観光客に1米ドルで売られていました。

 ジンバブエから車を2時間走らせて,ボツワナのチョベ国立公園に行きました。ここは,ライオンやヒョウ,ゾウ,カバ,バッファローがたくさんいます。サファリカーに乗って広い公園内を走らせると,まず,ヒョウに仕留められたインパラが,木からぶら下がっているのを目撃。自分の獲物を他の動物に横取りされないように,木の上に獲物を運ぶとのことです。次に,ライオンがゾウを仕留めたという連絡が入り,現場に向かうと,大きなゾウが横たわっていて,ライオンが上にのしかかっていました。マッシュルームのような物が見えるというので,双眼鏡で覗いたら,ゾウの大きな腸がはみ出していて,白いマッシュルームの様に見えていました。大自然の中では,弱肉強食の原則しか通用しないんだなと感じました。

 南アフリカのヨハネスブルクに戻り,ブルートレインに乗って,ケープタウンへ行く予定でしたが,列車の故障で,ブルートレインには乗れずに,飛行機での移動になりました。ケープタウンでは,テーブルマウンテンに登ったり,喜望峰を訪れたり,ワインの産地を巡ったりと,都会的な旅を楽しみました。南アフリカは,アパルトヘイトという人種隔離政策で,白人が非白人に対して人種差別を行っていて,住む場所が白人用と黒人用にはっきり分かれていて,その緩衝地帯に混血の人やアジア人が住んでいました。白人の家にメイドとして雇われた際も,パスをいつも携帯していないと罰せられ,婚姻も異なる人種間の婚姻は禁止されていました。アパルトヘイト反対運動をしていたネルソン・マンデラ氏は27年間,離れ小島のロベン島などに収監されていて,1994年に彼が大統領になってアパルトヘイトを完全撤廃し,今のような南アフリカの国になっていますが,黒人達の生活は,まだまだ苦しくて,家も粗末なトタン屋根の小屋に住んでおり,町外れには共同トイレの箱が並んでいるのをたくさん見ました。首都は,ヨハネスブルク・プレトリア・ケープタウンの3都市で,ヨハネスブルクとプレトリアは治安の悪い場所が結構あり,地元の日本人も近づけないと言っていました。ケープタウンは観光都市として開けており,朝のランニングも町中を走ることができました。白人中心の時代に,医療技術も進み,世界で最初の心臓移植はケープタウンのグルート・スキュール病院で1967年にクリスチャン・バーナードにより行われました。この時の患者は術後18日目に肺炎で死亡するも,翌年には2例目の心臓移植を行い,術後19か月生存しています。クリスチャン・バーナードのいた病院が,世界の最先端医療をしていたわけではなく,彼はアメリカで最新技術を学んでいます。そして,心臓移植には,当然,臓器提供者がいます。その頃は脳死判定が充分ではなく,南アフリカだからこそ,世界初の移植に踏み切れた社会的背景があったのではないでしょうか。1例目の手術を皮切りに,翌年には世界中で次々と競うように手術が行われ,約100例にもなりました。日本で最初の心臓移植もその年に行われました。札幌医大で行われた手術に関しては,本当に移植が必要な患者だったのか,脳死判定が充分だったのかなどの問題点がマスコミで取り上げられ,それ以降しばらくは心臓移植はタブーとなった時代もありました。当時,そんな問題提起が起こりにくい南アフリカだったから,最初の移植ができたのではと思います。